祖母の伝記

祖母が入院をした。
もう、ほとんど意識がないので今週がやまでしょう。


大正元年生まれの祖母は、苦労人であるがうえの傲慢で人には厳しい人でした。
4人姉妹の長女で、姉妹の中では一番頭が良かったのか
村で始めて女学校に通ったそうです。
その後、隣町の呉服屋に嫁いでお姑さんとだんな(祖父)の姉に苦労させられ
耳に障害を持った祖父を支えながら、呉服屋を大きくしていきました。
田舎でありながらも、呉服屋はそこそこ繁盛したらしく、
息子(叔父・父)達は戦争中・戦後の苦労を知らずして大きくなったそうです。


(ここまでは、聞いた話。ここからは、私の記憶)


その後、私が2歳の時祖父が、4歳の時叔父が亡くなり
時代から逆行する片田舎の呉服屋は急速にさびれていくにもかかわらず
祖母は、店を守ることに必死でした。
繁盛した時代が忘れられないのか、私生活は本当に派手にしていたので、
周囲が店を閉めるように、再三勧めたにもかかわらず
そんな意見に耳を貸さず、お店の全権限を叔父の嫁に託していたのです。
結局、時代の流れとともに倒産やむなしとなったわけで、
私財を整理することで、祖母は私たちの家へ引き取ることになりました。
ここからが本当に本当に、長い13年間が始まるわけです。
当初書いたように、傲慢ちきちきの祖母は私たち家族との軋轢をうみ
ほとんど馴染もうとはせず、特に私とは仲が悪く衝突も絶えなかった。


そのうち祖母と私の生活も変わり、顔を合わすことも少なくなるうちに
介護制度等が整いだして、行政のお世話となり
今年の3月からは入所することになり、両親とも一安心していたのです。
いろんな介護の話しが取り上げられるけど、
こればっかりは、やった人しかわからない壮絶なものがあるものです。
祖母が入所する頃には、私のことはすっかりわからなくなっちゃって
自分がどこにいるかもわからないようなっていて、
お店のあったところや生まれた家に帰りたいと言い続けていまいた。
こんなドラマみたいな人生を歩んだ祖母にはかなさを感じてしまったのでした。


今日、お見舞いに行ってきます。
明日から出張だしその後の休暇は取り止めかもしれません